歴史

アニメーションの画材に用いられる透明シートの素材は1910年代から1950年代までは、セルロイドが使用されていた。セルの名称はこの素材に由来する。映画の撮影フィルムにも用いられていたセルロイドは熱に弱く、自然発火の危険性があるものだった。そのため不燃性の素材の研究が進められ、1950年代からは材質がトリアセチルセルロース (TAC) に移行した。日本のアニメ業界では富士写真フイルムのフジタックブランドから発売されたアニメ用TACが市場で独占的な地位を築いた。1985年頃からはアメリカとの合作により、コダック社のTACがその価格の安さから使用されることもあった。

アニメの技法としてセルを使った重ね合わせが用いられたのは、1914年1月にアメリカのジョン・ランドルフ・ブレイが世界初とされる。ブレイは背景をセル画に描きキャラクターを紙のシートに描いていた。さらに同年12月には同じくアメリカのアール・ハードが、後に一般的になった動く絵をセルに描き、動かない背景画などを紙に描く技法を考案した。アメリカのディズニーのような大規模な制作スタジオがなかった日本では切り絵によるアニメが一般的であり、高価なセルロイドを使ったアニメの導入は遅れた。日本初のセルアニメは、1927年に大藤信郎が影絵アニメ「鯨」の一部で使ったものだとされている。

紙に描かれた動画をセルに転写する作業をトレース(trace)あるいはトレスと呼ぶ。当初は手作業によるトレス(ハンドトレース)が行われたが、やがて、トレスマシンによるトレスに移行した。トレスマシンによるトレスは人件費削減の効果があったが、他に原画のタッチが失われないという利点もあった。トレスされたセルは裏返して色が塗られていた。セル画を塗るのに使う塗料は、アニメカラーと呼ばれる専用塗料が使われた。既製品の色数は限られていたが特注のオーダーも可能であった。

アニメ技術の黎明期である1930年代までの日本のアニメ制作スタジオは規模が極めて小さく、切り取り絵よりも表現が優れていると分かっていても、セルは非常に高価で使えるものではなかった。使うにしてもアニメ全編には使えず、部分的な使用に留まっていた。

また、使用済みのセルを洗っての再利用も行われた。この「セル洗い」という作業は主に新人の撮影マンなどが行っていた。しかし洗うことでセルには無数の傷が付き、また薬品のためにシワが出来るため、再利用は3回位が限度だったという。テレビ時代に入ってもTCJ動画センター(現・エイケン)では『鉄人28号』の制作でセル洗いを行っていたと同社の鷺巣政安は証言している。アメリカでも初期には高価だったため、セルは洗浄して再利用していた。アニメ製作者のチャック・ジョーンズはアブ・アイワークスのスタジオでその仕事をしていたという。その後、セルの価格が下がり、またテレビ受像機の性能が向上して、小さな傷でもごまかしが利かなくなったことから、手間のかかる「セル洗い」は行われなくなった。

使用済みセルは制作会社で保管、あるいは焼却・廃棄処分されていたが、1970年代末から1980年代に起こったアニメブーム以降は、キャラクターを描いた使用済みセル画の価値がアニメファンに認識され、東映動画が設立したアニメショップ「アニメポリス・ペロ」などの販売店や即売会などで販売されたり、ファンイベントの記念品などに供されるようになった。

一方、セル画人気がエスカレートした結果、見学と称して制作現場を訪れた者や、夜間に侵入した者によってセル画が盗難される事件、盗難されたセル画がまんだらけなどの古書店で販売される事例も起き、さらにはセル画と同様にマスターテープが盗難に遭ったとアニメファンの間で噂されているような作品も存在している。